昨日(8/8)は某国でオリンピックの開会式が行われ、お祭り騒ぎです。
しかし、私はしつこい性格なので、竹島問題の詳細を確認すべく、本を読みました。
その本とは「竹島は日韓どちらのものか」下條正男著 文春新書です。
1 法的には竹島は日本の領土である
結論からいうと、法的には竹島は日本の領土である。1945年までは朝鮮半島をふくめすべて日本の領土あった。
しかし、日本の降伏により本土以外の多くの土地が日本の領土でなくなった。それを確定しているのが1951年に署名された
サンフランシスコ講和条約である。韓国は1948年8月15日に大韓民国として独立したが、連合国の一員でないため、条約の内容について韓国の交渉権はない。朝鮮半島について、どこを放棄するかは、日本がアメリカと交渉し確定した。当初は「済州島、竹島、鬱陵島を除外すると」なっていたが、日本の主張により「済州島、巨文島、鬱陵島」となり、竹島は除外からはずれた、つまり日本の領土として認められた。
丁度この交渉がまとまりつつあったとき、1950年は朝鮮戦争の最中で、日本の動きに危機感をもった韓国の李承晩が「李承晩ライン」宣言し、竹島の領域を韓国領とし、その後、竹島に警備隊を配置し実行支配を続けているというわけだ。
このあたりの詳細は先の本の第四章P136に記載されている。
2 ではなぜ領有問題なるのか
ではなぜ、韓国側が竹島の領有を主張するのか?それは17世紀、日本の江戸時代からの鬱陵島と竹島をめぐる両国の歴史に原因がある。ここでは要点のみを示す。詳細は1〜3については文献1、4は文献2を参照してほしい
1 20世紀になるまで現在の鬱陵島を竹島と呼んでいた。
2 鬱陵島の領有をめぐり17世紀、鬱陵島にいた安龍福が日本に連行される事件が発生。
安龍福は帰還後、日本に竹島の領有を認めさせたと説明、時の韓国政権の派閥抗争から
当初の密航者から英雄へと扱いが変わる
2 現在の竹島は1900年当時日本・韓国どちらの国の領土としても認識されていなかった
3 1906年日本が現在の竹島を調査し、その領有を宣言。それを鬱陵島の領有と韓国が誤解
これがその後の日韓併合への歴史の原点であるとの歴史認識を生む原因となった
4 独立後の韓国で国民のアイデンティティを確立するため徹底した反日教育がなされた
つまり、安龍福の一件と島の名称が混乱をまねき、時の韓国と日本(鳥取藩と対馬藩、明治政府)での政治的な駆け引き、そして
日本の韓国併合と日本の敗戦、朝鮮半島による南北の対立が絡まり、韓国側に感情論が高まり、日本の及び腰が問題の解決を遅らせた。
3 領土問題の平和的解決に向けて
国家にとって領土は基本的な問題である。日本は下記の領土問題を抱えている
尖閣諸島 :日本が実効支配しているが、中華人民共和国、中華民国が領有権を主張
竹島 :大韓民国が実効支配しているが、日本が領有権を主張
北方領土 :ロシアが実効支配しているが、戦前まで日本人が暮らし日本は返還を求めている
日本はかつて現在の領土に加え、南樺太とアリューシャン列島、朝鮮半島、台湾、南洋諸島までを統治していた。それは現在の私たちにはにわかに信じがたいほどである。
領土という基本について日本には正式な法律はなく、戦後、沖縄の日本復帰以外には大きな変化はない。私はかつての領土を取り戻せとは言わないが、戦争をしないことが最優先で、領土については争わず、関心もないというのはよいことではない。
仮に日本はそれでよいとしても、その感覚のまま他国の問題を考えるのは非常識である。
領土の問題は歴史経緯、法的根拠、その場所の利用価値と実行支配、そして領有の宣言を他国が承認するかも重要である。法的な根拠だけで物事が決するわけではない。両国の国民の考えとそれに支えたれた政府の交渉があって解決できることだ。その意味でも韓国の感情論と日本の無関心はよくない。
日韓双方にはきちんと事実を踏まえた研究をしている人たちが存在する。日韓の両政府はこれらの研究者に合同できちんとした調査を実施し結果を双方の国民に知らせる、その上でどうあるべきかを国民に問うプロセスを実現することが、この問題の根本解決になると私は考える。そしてそれこそが、紛争を武力によらずに解決するということではないだろうか
参考文献
1 下條正男著 竹島は日韓どちらのものか 2004 文春新書 ISBN4-16-660377-9
2 黒田勝広著 韓国人の歴史観 1999 文春新書 ISBN4-16-660022-2

しかし、私はしつこい性格なので、竹島問題の詳細を確認すべく、本を読みました。
その本とは「竹島は日韓どちらのものか」下條正男著 文春新書です。
1 法的には竹島は日本の領土である
結論からいうと、法的には竹島は日本の領土である。1945年までは朝鮮半島をふくめすべて日本の領土あった。
しかし、日本の降伏により本土以外の多くの土地が日本の領土でなくなった。それを確定しているのが1951年に署名された
サンフランシスコ講和条約である。韓国は1948年8月15日に大韓民国として独立したが、連合国の一員でないため、条約の内容について韓国の交渉権はない。朝鮮半島について、どこを放棄するかは、日本がアメリカと交渉し確定した。当初は「済州島、竹島、鬱陵島を除外すると」なっていたが、日本の主張により「済州島、巨文島、鬱陵島」となり、竹島は除外からはずれた、つまり日本の領土として認められた。
丁度この交渉がまとまりつつあったとき、1950年は朝鮮戦争の最中で、日本の動きに危機感をもった韓国の李承晩が「李承晩ライン」宣言し、竹島の領域を韓国領とし、その後、竹島に警備隊を配置し実行支配を続けているというわけだ。
このあたりの詳細は先の本の第四章P136に記載されている。
2 ではなぜ領有問題なるのか
ではなぜ、韓国側が竹島の領有を主張するのか?それは17世紀、日本の江戸時代からの鬱陵島と竹島をめぐる両国の歴史に原因がある。ここでは要点のみを示す。詳細は1〜3については文献1、4は文献2を参照してほしい
1 20世紀になるまで現在の鬱陵島を竹島と呼んでいた。
2 鬱陵島の領有をめぐり17世紀、鬱陵島にいた安龍福が日本に連行される事件が発生。
安龍福は帰還後、日本に竹島の領有を認めさせたと説明、時の韓国政権の派閥抗争から
当初の密航者から英雄へと扱いが変わる
2 現在の竹島は1900年当時日本・韓国どちらの国の領土としても認識されていなかった
3 1906年日本が現在の竹島を調査し、その領有を宣言。それを鬱陵島の領有と韓国が誤解
これがその後の日韓併合への歴史の原点であるとの歴史認識を生む原因となった
4 独立後の韓国で国民のアイデンティティを確立するため徹底した反日教育がなされた
つまり、安龍福の一件と島の名称が混乱をまねき、時の韓国と日本(鳥取藩と対馬藩、明治政府)での政治的な駆け引き、そして
日本の韓国併合と日本の敗戦、朝鮮半島による南北の対立が絡まり、韓国側に感情論が高まり、日本の及び腰が問題の解決を遅らせた。
3 領土問題の平和的解決に向けて
国家にとって領土は基本的な問題である。日本は下記の領土問題を抱えている
尖閣諸島 :日本が実効支配しているが、中華人民共和国、中華民国が領有権を主張
竹島 :大韓民国が実効支配しているが、日本が領有権を主張
北方領土 :ロシアが実効支配しているが、戦前まで日本人が暮らし日本は返還を求めている
日本はかつて現在の領土に加え、南樺太とアリューシャン列島、朝鮮半島、台湾、南洋諸島までを統治していた。それは現在の私たちにはにわかに信じがたいほどである。
領土という基本について日本には正式な法律はなく、戦後、沖縄の日本復帰以外には大きな変化はない。私はかつての領土を取り戻せとは言わないが、戦争をしないことが最優先で、領土については争わず、関心もないというのはよいことではない。
仮に日本はそれでよいとしても、その感覚のまま他国の問題を考えるのは非常識である。
領土の問題は歴史経緯、法的根拠、その場所の利用価値と実行支配、そして領有の宣言を他国が承認するかも重要である。法的な根拠だけで物事が決するわけではない。両国の国民の考えとそれに支えたれた政府の交渉があって解決できることだ。その意味でも韓国の感情論と日本の無関心はよくない。
日韓双方にはきちんと事実を踏まえた研究をしている人たちが存在する。日韓の両政府はこれらの研究者に合同できちんとした調査を実施し結果を双方の国民に知らせる、その上でどうあるべきかを国民に問うプロセスを実現することが、この問題の根本解決になると私は考える。そしてそれこそが、紛争を武力によらずに解決するということではないだろうか
参考文献
1 下條正男著 竹島は日韓どちらのものか 2004 文春新書 ISBN4-16-660377-9
2 黒田勝広著 韓国人の歴史観 1999 文春新書 ISBN4-16-660022-2
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