田母神氏の論文をめぐる問題は氏の更迭が報じられた翌日の11月2日から3回に分けて詳しく経緯と論文の内容について検討した。
しかし、田母神氏の処遇とその後の参考人質疑での発言など、問題の広がりを見せている。
日本の戦争と安全保障、憲法は私がこのブログを立ち上げた原点となる問題なので、再度取り上げることにする
1 なぜ論文の投稿が可能だったのか
田母神氏は論文発表をまったくの個人として行ったのでなく、口頭とはいえ省内の報告手続きを踏んでいる。そして制服組の一部からは論文投稿を見合わせる説得があったという[1]。ということは少なくとも関係者には論文の内容が事前に知らされ、かつ背広組にも投稿する旨は伝わっていたということになる。ここいう背広組とは防衛省官房長の中江公人氏で、「1、2カ月前に、雑談の中で『(懸賞)論文に応募した』と田母神さんから言われた」[2]という。
この様子を見る限り、報告という正式なものでなく上司に話たというレベルのもので、浜田靖一防衛相も「正式な手続きが行われなかったと言いたい」[2]事実を認めている
ここでの問題は雑談であっても情報を知ったのなら、論文の内容を確認するための行動をとらなかったことに落ち度がある、本人が軽く考えていたとしても、官房長が制服組の関係者に確認すれば内容を把握し問題感じていることを把握できたはずだ
逆にいうとこのようなことが日常茶飯事であり、内規があっても厳格に運用されていなかった。具体的には今回問題となった民間の論文募集に対し97名もの応募があった事実が明らかになっている[3]
ここから見えることは、自衛隊といえど実戦での武功がない世界では学者と同じで論文を書くことが昇進につながるということ、そして組織として規律を監督する防衛監察本部が機能していなかったということだ。
これは何も防衛省だからということでなく、民間の企業においても実施している当たり前のことで、職務に関係する発言を企業名と共に行う際は上司の承認と広報・法務なりのチェックが必要で、ネット上の掲示板やブログへの書き込みも規制されているのが常識だ。
これは文民統制という問題以前の組織統制のレベルの問題だ。
このルールの緩みが論文の投稿を可能した最大の原因ではないだろうか
2 危機意識のない組織はかならず規律が緩む
自衛官として専門分野で研究を重ね論文にまとめることは非常によいことだし、多数の自衛官が論文を書こうとした姿勢は大いに評価していい。しかし、論文は小学生の読書感想文とはちがう、それを教育指導するのが組織の長である、今回の事件は組織の長が、事実にもとずく現実分析ができず、己の信念のよりどころに自己主張するだけの存在だったことを証明している。
そんな現場リーダの存在を許した原因は、指揮官の「部下と国民の命を預かる」という危機感と、文民統制の主体たる政治家に安全保障に対する見識の欠如と、実務を丸投げにしていたことがあるのだろう。
同じ危機管理を担う現場でも、消防や医療ではリーダー足りえる人材は自らがどの部下よりも実力を持ち的確て冷静な判断ができる人物でなければ、部下も自らの命を預けないという。つまりリーダーは人を救いたいという情熱だけではだめなのだ。
「国の愛する気持ち」からの発言だというのは情熱としては認めよう、しかし彼は現場の最高指揮官だった。今、防衛省は庁から昇格し国の安全保障の立案を期待される組織となった。参謀長たる政治の示す方針をいかに現実の防衛の現場で実現するかを立案する責任者のはずだ、それが現場で共に行動するアメリカの陰謀を言い相互の不信を招くとはどういう見識なのだろうか。軍人なら権謀術数が渦巻くことなど当たり前のこととして知っているはずだ。軍人とは信念を武器に互いの憎しみを煽る人であってはならない。強大な武力を行使する特権と引き換えに戦闘にかかわるルールを守り、勝敗を判断し、何より戦闘を最小限に止める判断ができる人でなくてはならない。自らの正当性を振り回し、事実を踏まえない態度は戦前の軍人たちの過ちを繰り返すことでしかないだろう。
そしてより重い責任があるのは政府だろう、政治家として安全保障を真剣に考えることはタカ派と思われ得票につながらない。だれもが軍事の専門知識を持てるはずはないが、最高指揮官たる総理大臣とその指揮下に自衛隊を統率する大臣とその補佐官たちは、専門知識がないことを理由に制服組みにすべてを任せきりにすることは許されない。
今回の問題も文書での手続きをとったどうかという手続き論が問題ではない、「論文を投稿する」と聞いたときにその意味することを判断する感覚が重要だ、内規違反だとか自衛隊法にいかに規定があったとしても、違反を厳格に罰しなければ法は存在意味をなくす。
問題はいかなる人材が自衛隊と防衛省に必要なのかを政治が明確に示すかだろう、これはダメというネガティブリストでは人は育たない国民の付託を受けた政治家だからこそ方針を示しそれを実現する組織にする責任が政治にある。相次ぐ防衛省の不祥事は組織の問題を示している、そこに危機感を感じない政府は自ら同じ病にかかっているのではないだろうか
参考情報
[1] 毎日新聞 2008年11月1日
田母神・空幕長更迭:あの空幕長がまた 過去にも暴言「そんなの関係ねえ」
[2] 時事通信 2008/11/04
論文応募、事前に把握=防衛省官房長が認める
[3] 時事通信 2008/11/14
空幕部長も応募後押し=懸賞論文、組織ぐるみ鮮明に−田母神氏の「指示はなし」


しかし、田母神氏の処遇とその後の参考人質疑での発言など、問題の広がりを見せている。
日本の戦争と安全保障、憲法は私がこのブログを立ち上げた原点となる問題なので、再度取り上げることにする
1 なぜ論文の投稿が可能だったのか
田母神氏は論文発表をまったくの個人として行ったのでなく、口頭とはいえ省内の報告手続きを踏んでいる。そして制服組の一部からは論文投稿を見合わせる説得があったという[1]。ということは少なくとも関係者には論文の内容が事前に知らされ、かつ背広組にも投稿する旨は伝わっていたということになる。ここいう背広組とは防衛省官房長の中江公人氏で、「1、2カ月前に、雑談の中で『(懸賞)論文に応募した』と田母神さんから言われた」[2]という。
この様子を見る限り、報告という正式なものでなく上司に話たというレベルのもので、浜田靖一防衛相も「正式な手続きが行われなかったと言いたい」[2]事実を認めている
ここでの問題は雑談であっても情報を知ったのなら、論文の内容を確認するための行動をとらなかったことに落ち度がある、本人が軽く考えていたとしても、官房長が制服組の関係者に確認すれば内容を把握し問題感じていることを把握できたはずだ
逆にいうとこのようなことが日常茶飯事であり、内規があっても厳格に運用されていなかった。具体的には今回問題となった民間の論文募集に対し97名もの応募があった事実が明らかになっている[3]
ここから見えることは、自衛隊といえど実戦での武功がない世界では学者と同じで論文を書くことが昇進につながるということ、そして組織として規律を監督する防衛監察本部が機能していなかったということだ。
これは何も防衛省だからということでなく、民間の企業においても実施している当たり前のことで、職務に関係する発言を企業名と共に行う際は上司の承認と広報・法務なりのチェックが必要で、ネット上の掲示板やブログへの書き込みも規制されているのが常識だ。
これは文民統制という問題以前の組織統制のレベルの問題だ。
このルールの緩みが論文の投稿を可能した最大の原因ではないだろうか
2 危機意識のない組織はかならず規律が緩む
自衛官として専門分野で研究を重ね論文にまとめることは非常によいことだし、多数の自衛官が論文を書こうとした姿勢は大いに評価していい。しかし、論文は小学生の読書感想文とはちがう、それを教育指導するのが組織の長である、今回の事件は組織の長が、事実にもとずく現実分析ができず、己の信念のよりどころに自己主張するだけの存在だったことを証明している。
そんな現場リーダの存在を許した原因は、指揮官の「部下と国民の命を預かる」という危機感と、文民統制の主体たる政治家に安全保障に対する見識の欠如と、実務を丸投げにしていたことがあるのだろう。
同じ危機管理を担う現場でも、消防や医療ではリーダー足りえる人材は自らがどの部下よりも実力を持ち的確て冷静な判断ができる人物でなければ、部下も自らの命を預けないという。つまりリーダーは人を救いたいという情熱だけではだめなのだ。
「国の愛する気持ち」からの発言だというのは情熱としては認めよう、しかし彼は現場の最高指揮官だった。今、防衛省は庁から昇格し国の安全保障の立案を期待される組織となった。参謀長たる政治の示す方針をいかに現実の防衛の現場で実現するかを立案する責任者のはずだ、それが現場で共に行動するアメリカの陰謀を言い相互の不信を招くとはどういう見識なのだろうか。軍人なら権謀術数が渦巻くことなど当たり前のこととして知っているはずだ。軍人とは信念を武器に互いの憎しみを煽る人であってはならない。強大な武力を行使する特権と引き換えに戦闘にかかわるルールを守り、勝敗を判断し、何より戦闘を最小限に止める判断ができる人でなくてはならない。自らの正当性を振り回し、事実を踏まえない態度は戦前の軍人たちの過ちを繰り返すことでしかないだろう。
そしてより重い責任があるのは政府だろう、政治家として安全保障を真剣に考えることはタカ派と思われ得票につながらない。だれもが軍事の専門知識を持てるはずはないが、最高指揮官たる総理大臣とその指揮下に自衛隊を統率する大臣とその補佐官たちは、専門知識がないことを理由に制服組みにすべてを任せきりにすることは許されない。
今回の問題も文書での手続きをとったどうかという手続き論が問題ではない、「論文を投稿する」と聞いたときにその意味することを判断する感覚が重要だ、内規違反だとか自衛隊法にいかに規定があったとしても、違反を厳格に罰しなければ法は存在意味をなくす。
問題はいかなる人材が自衛隊と防衛省に必要なのかを政治が明確に示すかだろう、これはダメというネガティブリストでは人は育たない国民の付託を受けた政治家だからこそ方針を示しそれを実現する組織にする責任が政治にある。相次ぐ防衛省の不祥事は組織の問題を示している、そこに危機感を感じない政府は自ら同じ病にかかっているのではないだろうか
参考情報
[1] 毎日新聞 2008年11月1日
田母神・空幕長更迭:あの空幕長がまた 過去にも暴言「そんなの関係ねえ」
[2] 時事通信 2008/11/04
論文応募、事前に把握=防衛省官房長が認める
[3] 時事通信 2008/11/14
空幕部長も応募後押し=懸賞論文、組織ぐるみ鮮明に−田母神氏の「指示はなし」

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